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CPUで読む世代交代6502・Z80・68000、そしてRISCへ
家庭用ゲーム機の世代は、しばしばビット数で語られる。だが実際に起きていたのは「どのCPUファミリーを選ぶか」という、もっと生々しい調達の話だった。
6502系 ― 安さで選ばれ、速度で延命した
ファミリーコンピュータのRP2A03は、MOS 6502のカスタム版である。6502は1975年に登場した8bit CPUで、1980年代前半にはすでに枯れた設計だった。Apple II、コモドール64、BBC Microに搭載され、量産効果で単価が下がりきっていた。
任天堂がこれを選んだ理由は明快で、安かったからである。さらに音源回路を同じダイに載せることで、サウンドLSIの分のコストも削っている。
興味深いのは、6502系がこのあと2度延命される点である。1987年のPCエンジンは65C02のカスタム版HuC6280を7.16MHz——ファミコンの4倍のクロック——で駆動した。1990年のスーパーファミコンは16bit拡張版の65C816をベースにした5A22を採用している。8bit時代の安いCPUが、命令セットの互換を保ったまま16bit世代まで引っ張られた。
Z80系 ― パソコンの部品箱から
セガのSG-1000とセガ・マークIIIはZ80Aを採用した。同社が並行して開発していた8bitパソコンSC-3000と部品を共有するためである。
Z80はこの時代、ホビーパソコンの事実上の標準だった。周辺LSI(TMS9918AのVDP、SN76489の音源)まで含めて「組み合わせれば動く」セットが確立しており、設計工数を大幅に削減できる。
任天堂のゲームボーイも、シャープLR35902というZ80/8080派生のコアを積んでいる。ただしこちらはZ80そのものではなく、必要な命令だけを残した縮小版である。ライセンス費用と消費電力の両面からの判断とみられる。
メガドライブに至っては、メインCPUが68000でありながらサブCPUとしてZ80Aを残した。音源制御と、マークIII互換モードのためである。旧世代のCPUを互換のために基板に残す手法は、のちのPlayStation 2(初代PSのCPUをIOPとして流用)と同じ発想にある。
68000系 ― アーケードからの流入
1988年のメガドライブ、1990年のネオジオ。どちらもモトローラMC68000を採用している。この選択の背景にあるのは、両社がアーケード基板で68000を使い込んでいたという事実である。
セガのシステム16、SNKのMVS。業務用の開発資産——ライブラリ、開発ツール、そして何よりプログラマの経験——がそのまま家庭用へ移せる。移植コストの削減効果は、CPU単価の差を上回る。
68000は16/32bitの中間的な設計で、内部32bit・外部データバス16bitという構成を取る。「16bit機」という当時の呼称は、この外部バス幅に由来する。
RISCへの転換 ― 1994年
1994年に発売された3機種は、いずれもRISC系CPUを採用している。3DOはARM60、セガサターンは日立SH-2、PlayStationはMIPS R3000A系。CISCからRISCへの切り替えが、この1年に集中した。
背景にあるのは3Dポリゴン処理の要求である。座標変換は積和演算の繰り返しであり、単純な命令を高速に回すRISCの性格に適合する。加えて、いずれの機体も座標変換専用の回路を別に持つ(PlayStationのGTE、サターンのSCU-DSP)。CPUが汎用処理、専用回路が3D演算という分業が、この世代で確立した。
1996年のNINTENDO64はMIPS R4300i系を93.75MHz、1998年のドリームキャストは日立SH-4を200MHz、2000年のPlayStation 2はMIPS系のEmotion Engineを294.912MHzで駆動する。1983年のファミコンが1.79MHzだったことを考えると、17年で約165倍である。
図 メインCPUの動作クロック比較。当資料室で作成。
クロック周波数だけでは測れないもの
下の図はメインCPUの動作クロックを対数目盛で並べたものだが、この数字が性能を表さない場面は多い。
スーパーファミコンは3.58MHz、同世代のメガドライブは7.67MHz。数字は倍以上違うが、実際の画面表現でスーパーファミコンが劣っているとは言えない。映像処理をS-PPU、音声処理をSPC700に完全に切り出しているためである。
3DO REALのARM60は12.5MHz。同年のPlayStation(33.87MHz)の3分の1だが、描画はCELエンジン2基が担当する。ボトルネックはCPUクロックではなく、ジオメトリ演算の処理系にあった。
「何MHzか」ではなく「何をCPUにやらせないか」。1980年代から2000年にかけての家庭用ゲーム機の設計は、一貫してこの問いへの回答だったとも読める。
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本ページのグラフはすべて当資料室で作成したものです。元になった数値の出典は各機種のページに記載しています。
最終更新:2026-07-05